「神戸のうみ やま みなと」マルナカ工作所の船づくりのお話

南淡路南淡町に生まれ15歳で軍事造船養成学校で造船学を学び、卒業と同時に終戦。戦後の図面は英語で書かれていたので子どもが通う塾に入って英語を学び、夜間高校にも通いながらそのまま地元の造船所で働くも不景気で仕事がなく、父親に書いてもらった地図ひとつ手にして単身神戸に出てきて現在の兵庫津界隈の造船所で働く。

インタビュアー) 当時、単身お一人で神戸に出てきて不安はなかったですか?

中田さん) 不安よりなりより、淡路から神戸に出て造船所で働いて一番怖かったんが、嘘を言わんようにしなかったら、あいつは嘘言いや言われたら田舎にも帰られへんし仕事もさせてもらえへんし、だからわたしは嘘てゆうのは今でも知らんのです。

インタビュアー)最後に、、50年以上お仕事を続けてこられて、変わったなと思うこと変わらないなと思うことてありますか?

中田さん)わたしは50年以上に凌波性(船の波の切り方)とか舟を色々研究してきて今思うのは、新しい技術を研究して性能の良いの作ろうとするんですが、相手の自然はうみとなみやから船には進歩がないんです。堂々巡りで。
色々な新しい技術の舟、カタマランやトリマラン、ホバークラフトなどありますが、結局はシンプルな形の船が一番良いんです。自然言うものは変えられへんから、進歩というのは船にはないなあと今は思ってます。

以上、印象に残った中田さんの言葉。いずれもシンプルでとても深い言葉に思えました。
何でも加工次第でよく見えてしまう世の中、本当に良いものとは何かを考えさせられるお話でした。
このお話のアーカイブをマルナカ工作所のウェブページが完成したらアップしようと思っています。動画や写真で後日アップいたします。